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美しい自然・寺社・文化財の町 加茂

岩船寺TEMPLES & SHRINES

「岩船寺縁起」によると、行基が鳴川(奈良市)に建立した阿弥陀堂がその始まりと記し、弘安2年鳴川山寺の東禅院灌頂堂を岩船寺に移し、 同8年に供養したという。
 「岩船寺」の寺号は、岩船寺から随願寺に向かってくだって行く途中にある,弘安10年(1287)の不動磨崖仏の銘文に始めて登場し、 続いて永仁7年(1299)の阿弥陀三尊石仏(笑い仏)に見える。
 空海の甥の智泉が、岩船寺中興の祖といわれ、整備した。智泉は空海に従って大安寺に入り、804年出家、受戒した。 空海の入唐に同行したという。智泉は嵯峨天皇の妃、橘嘉智子の帰依を受けて皇子誕生を祈った。810年に皇子(後の仁明天皇)が生まれると、橘嘉智子の寄進により、岩船寺は堂舎9坊を誇ったという。

岩船寺の本尊は阿弥陀如来である。本尊は、像内の墨書銘によって確かめられ、10世紀を代表する仏像として広く知られている。 天慶9年(946)が造像の年と考えられている。像高248aというこの巨像は、本体を欅の一材から彫成している。
  本尊阿弥陀如来像の四隅に立つ四天王像は前に安置される持国天と増長天が口を開き、動きのある姿勢であるのに対して、 後方の広目天と多門天は口を閉じて穏やかな姿勢を見せる。
 又,厨子に収められた普賢菩薩騎乗像は、空海が鳴川に善根寺を建てた後、 その甥にあたる智泉が建てた報恩院の本尊であった。六牙の白象に乗る普賢菩薩は像高39.5a、
本体は楠材の一木造である。

岩船寺三重塔(室町時代)は重文に指定されている。境内の一番奥まった所に位置し、昭和18年の解体修理の際、二番目の丸桁(ガギョウ)から嘉吉2年(1442)の刻銘が発見され、室町時代に建てられたことが判明した。

塔の構造形式は三重塔の通例を守り、各重とも方3間、組物は三手先、軒は二重繁垂木である。塔の規模は、初重が3.4b四方、総高は17.56bで、屋根の勾配が大きく本瓦葺のため、安定感のあるシルエットを見せ、周囲の木立ともあいまって堂々とした印象を与えている。

三重塔は、平成12年〜15年に大修理が行われ、朱に塗り替えられ内部壁画も復元されました。
岩船寺の山門に立つと、寺名の由来でもある船型の岩風呂があり、緑の中に本堂や十三重の塔、三重塔が建つ。四季を彩る花々が美しい。

十三重石塔

 石造り、総高6.3b。鎌倉時代正和3年(1314)妙空僧正の創建になる重文。
これは、初七日から33回忌に至るまでの13回の追善供養のために作られた。

五輪塔

 石造り、総高2.8b,鎌倉時代の作で、重文。東大寺別当平智僧都の墓という。
もと岩船村の北谷墓地にあったものを移した。

石室不動明王立像

 石造り、石室総高2.18b、像高1.15b、鎌倉時代の作で、重文。
前面左右に2本の角石柱を立て、その上に寄棟造りの一枚岩の屋根をかける。 床面は地盤面より低くし、中に清水をたたえる。奥壁に不動明王立像を薄肉彫りし、像の両側に銘文があり、1312年の造立とわかる。寺の塔頭である湯屋坊に住んでいた僧盛現が、 眼病平癒を祈願して霊験を得たので、報恩のために建立したといわれている。