本文へスキップ

美しい自然・寺社・文化財の町 加茂

恭仁京跡TEMPLES & SHRINES

 

天平12年(740)10月、聖武天皇は突如として奈良の都を出て東の地方へ行幸を企てました。当時は疫病や戦乱に見舞われ、社会不安が全国的に高まっていた時代でした。天皇はそのような事態を一新しようと遷都を決意し、それにふさわしい場所を求めて都を後にしたのです。そして、しばらくの彷徨を経て、瓶原の地に至り、ここを新しい都と定めました。これが恭仁京です。

   宮殿や官公庁など都の主要な建物が造営された瓶原地区は、北に険しい山を背負い南に開けた気候温暖・山紫水明の地で道路や区画が整備されるに従って、貴族や豪族たちが奈良の都から移り住むようになってきました。恭仁京はそれまでの都に比べ規模も小さく、都としての期間も4年に過ぎませんが、この短期間に我が国の政治・文化の上で画期的な政策が幾つか出されました。
   遷都した翌年の天平13年には、諸国に国分寺・国分尼寺を建立する詔が、さらに その2年後には大仏造立の詔が出されています。さながら天平文化の原点が恭仁京において築かれたという感があります。また同じ年に、土地の私有制度を認めた墾田永年私財法が発布されています。この法律によって公地公民がくずれ、後の荘園制の基盤が形づくられました。たしかに短命ではありましたが、恭仁京はこのように日本の歴史上きわめて重要な位置を占めていたのです。