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美しい自然・寺社・文化財の町 加茂

行ってきました! ふるさと散歩 WALKING

平成28年11月5日(土) 
~伊賀街道沿いを巡り、旧燈明寺秘仏特別公開拝観~(約5km)


 ◆11月5日(土)加茂駅西口を出発


船屋(旧伊賀街道)を通って岡田鴨神社へ向かいます。

正面には木津川の堤防が見えます。

 ◆船屋から伊賀街道を通り、岡田鴨神社へ

木津川の堤防に到着
 
  ◆岡田鴨神社(祭神は、賀茂建角身命及び菅原道真)

「延喜式」神名帳で大社に列せられた古社で『日本三代実録』によると貞観元年(859年)正月二十七日、従5位上の神階を授けられています。

「山城風土記」によると、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は日向の高千穂の峰に天降られた神で、神武天皇東遷の際、熊野から大和への難路を先導した八咫烏(やたがらす)が化身です。

大和の葛城山から岡田の賀茂に移られ、賀茂氏族の祖神として祀られたのが岡田鴨神社です。

そののち賀茂建角身命は洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まられました。
 ◆小谷を通って現光寺へ

岡田鴨神社では、宮司さんにお時間を頂き、大変分かりやすく神社の由緒をお話いただきました。ありがとうございました。

小谷地区では、右に関西本線を見ながら現光寺へ行きます。

お天気がよくて、気持ちのいい散歩です。
 
   ◆現光寺

現光律寺とも言います。律の一字を加えた名からも知られるように、戒律を重んじてきたお寺でした。

本尊については坐像の十一面観音菩薩は珍しく、鎌倉時代の仏師、運慶の作か、あるいはその流れを汲んでいることは、様式などから考えて明らかです。

現在は、海住山寺の管理下にあります。
 新川の土手を旧燈明寺まで

もとは燈明寺の鎮守社であった、御霊神社へと向かいます。
 
  御霊神社(南北朝時代 重要文化財)到着

三間社流造の社殿で、一説に奈良の氷室神社の社殿を移してきたとも言われ、鎌倉時代後期から南北朝時代の建立と考えられています。

檜皮葺の社殿は前面向拝の柱間に梁を渡し、古い形式の蟇股を配しています。
主神は崇道天皇ですが、明冶の神社明細帖には素戔鳴命(すさのおのみこと)と記されています。
 ◆ 燈明寺型灯篭

火袋や中台側面の意匠の特徴から燈明寺型を呼ばれる燈籠です。

鎌倉時代に作られた当初のものを三井家に売却したときに模作したものを見ることができます。

三井家に売却された石燈籠は、現在は京都の真如堂に寄贈されています。
 
   旧燈明寺本堂

1457年頃に立てられたとされていますが、建築史的には室町時代初期頃の建立と考えられています。

何度も災害にあい、修理、改修などが繰り返されてきましたが、20世紀になって本堂は次第に荒廃していき、昭和23年の台風で壊滅的な被害を受けました。
その後、解体され、建物の部材はここで永く保管されていましたが、昭和56年に横浜市の三渓園に移築されました。

三渓園ではほぼ創建時に復元された本堂をみることができます。
 三重塔

同じく三渓園で見ることができます。

小高い山の上に移築され、三渓園のシンボルとなっています。
 
   ◆石造十三重塔 鎌倉時代末期

 千手観音

旧燈明寺には5軀の観音像が伝えられています。

千手観音は漆箔仕上げで、構造も一木彫成像です。

十一面観音・不空羂索観音・聖観音・馬頭観音は素地仕立ての像で寄木造りとなっています。


 
   ◆旧燈明寺の5軀の観音像 鎌倉時代後期

左から、馬頭観音、不空羂索観音、千手観音、十一面観音、聖観音

不空羂索観音の胎内から修理の際に奉加状が発見され、本像が徳治3年(1308年)頃の制作であることが確認されました。

現在は一般財団法人 川合京都仏教美術財団により管理されています。
 

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